アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第16回

平成26年1月14日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

北京大学には、大学院で同室だった中国人留学生が勤務していることを知っていたので、図書館での資料収集に半日ほど付き合ってもらった。研究分野が異なるため、日本ではあまりしゃべったこともなかったが、親切に図書館を案内してくれた。

北京大学の隣にこれまた中国屈指の名門である清華大学がある。ここの図書館受付では英語が通じなかった。中年の中国人は英語ができない。文化大革命時代に青年期を過ごし、英語教育を受ける機会がなかったということだろう。困っていたところに現役大学生が通りかかり、僕の訪問目的を通訳してくれた。あちらの学生は自信を持って英語を口にする。受付係は電話で日本語のできる司書を呼び出してくれた。彼女は夫の留学に同行して、日本で暮らしたことがあり、日本語を話せた。そんな人が付き添ってくれて、予め所蔵を確認していた資料を書庫から出してもらったり、複写室に案内してもらったり、ずいぶんとお世話になった。

僕はどの国に行く時もマイナスイメージを持っていかない。その国に関心を持ち、基本的にプラスイメージを持って行く。はたして現地では、いやな目にあったことがなく、どこでもいつも親切にしていただいている。だから嫌いになりようがない。

滞在日程の終わり近くに時間的な余裕ができたので、盧溝橋とその近くにある抗日戦争記念館に出かけた。あまり日本人は行かないのかもしれないが、旅行ガイドブックには載っている。僕としては、ここには行かねばという気持ちで訪問した。日本人だと知れて、トラブルになる可能性もなきにしもあらずかと少しは気になったが、それは杞憂であった。記念館でいかに日本軍が中国の深奥部まで入り込んでいたのかが理解できた。展示内容は、中国人の反日感情をことさら煽り立てるものではなく、日本人が知っておかなくてはならないことだと僕は感じた。

ある政府系の専門図書館に行った。ここにはぜひとも読みたい本があった。ところが、それは複写不可とのことであった。がっかりしていると英語の話せるおばちゃんが出てきて、上司にかけあってくれて、複写をしてくださった。コピーしてくれるのを待っている間、昔ながらのコルク栓の魔法瓶から暖かいお湯を入れてくれた。お茶ではなく、お白湯である。体だけでなく、気持ちも暖まったような気がした。

訪中のもう一つの目的だった工作機械の国際見本市を見に行った。中国最大規模の展示会で、世界中の機械メーカーが最新鋭機を競って出展している。1982年から2008年まで、この分野では日本が世界一の生産額を誇っていた。日本企業も力を入れて展示していたが、僕の関心は中国ローカルメーカーの動向であった。

中国の工作機械生産は日本と同じように長い歴史がある。西欧列強の進出に対抗する工業化の動きの中で中国でも日本でも機械の部品を加工する工作機械の生産が始められた。第一次世界大戦による世界的な工作機械の払底によって、日本でも中国でも国産化が進み、一部は輸出もされた。工作機械は兵器の生産にも用いられるため、日本では日露戦争、第一次世界大戦、満州事変から敗戦までの十五年戦争の際に大きく生産が伸びた。

日中戦争は侵略される側の中国よりも侵略する側の日本の工作機械生産をより促進した。旧満洲の奉天(現瀋陽)には日系工作機械メーカーも存在したが、終戦時に機械設備は旧ソ連によって持ち去られ、設計図など技術文書は日本人の手で焼却されて、中国には継承されなかった。中国人従業員には何らかの技能が蓄積されたと見られるが、このあたりは詳らかではない。中国で留用された日本人技術者の存在も見逃せないが、工作機械製造の分野での貢献があったかどうかは不明である。少なくとも工作機械の分野で日本の置き土産はほとんどなかったように思われる。

毛沢東が指導する新中国に工作機械技術を教えたのはソ連である。工作機械は工業発展のための生産設備として社会主義国では重視された。1950年代後半、中ソ蜜月時代にロシア人技術者が中国に派遣されてきて、ソ連でおこなわれてきた工作機械の大量生産方式を教えた。毛沢東の「全力を挙げてソ連に学べ。」という号令の下、ソ連式生産方式が金科玉条のごとく盲目的に取り入れられた。ソ連の技術は工業水準の低い当時の中国にはそぐわなかった。

フルシチョフによるスターリン批判が中ソ関係を冷え込ませ、ロシア人技術者が引き上げたため、1960年代に入ると中国は自力更生を迫られる。文化大革命の嵐の中で、工作機械も土法製鉄のように粗悪品が大量に生産された。米ソ二大国と緊張関係にあった中国は沿海部の重要工場の生産能力の一部を内陸部に移転させる三線建設を実施した。従来、工業集積がなかった僻地に工作機械工場が建設された。プログラムにより動作を電子制御するNC(数値制御)工作機械の開発と普及が西側で進展していた時期に中国は孤立していたため、工作機械分野において戦後最大の技術革新であったNC技術に中国は乗り遅れることになる。

それにしても、中国は厚い機械工業基盤を有しており、後発工業国の中では抜きん出ている。(つづく)

中国製工作機械のカタログ
中国製工作機械のカタログ

ジャカルタで使われていた中国製工作機械(1986年)
ジャカルタで使われていた中国製工作機械(1986年)

コラム一覧へ戻る

▲ページ上部へ戻る