アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第13回

平成25年10月20日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

韓国編が終わり、今月から中国編を書くつもりだったが、8月にまたもや台湾に行った。そこで、今回の訪問の経験に基づいて、台湾について書き足そうと思う。

勤務先の大学院生と学部生計5名が提携先の大学で行われる台日学生交流会に参加するのに、お盆明けから9日間、同行した。その大学は台湾西側中部雲林県虎尾鎮にある。ここは一般的には行くことのない町である。北部の台湾桃園国際空港から虎尾へは高速道路を使って、バスで3時間かかった。

日本が日清戦争に勝って、台湾を領有すると、1896年に大日本製糖の製糖工場が虎尾に設けられ、戦前・戦時の台湾製糖業の一大中心地となった。工場を中心に周辺の畑からさとうきびを運ぶための鉄道が張り巡らされた。戦後、台湾にあった数多くの製糖工場は中華民国によって接収されて台湾糖業公司となり、虎尾工場はその主力生産拠点として継承される。しかし、かつては台湾を代表する産業であった製糖業も現在では衰退してしまっている。鉄路の多くは廃線となり、使われなくなった鉄橋が放置されている。工場の向かいにあったいくつもの社宅は朽ち果てて、廃屋となっている。良質な建物はリニューアルされて、有機食品の店として使われていた。工場ではアイスクリームも製造しており、その直売店があった。ビスケットサンドアイスは、紙で包装されており、手作り感がよかった。

台湾糖業公司虎尾工場
台湾糖業公司虎尾工場

台湾糖業のアイスクリーム
台湾糖業のアイスクリーム

人口7万人弱の虎尾にも郡役所、郡長公舎、消防署など日本時代の公共建築が用途を変えて、いまだに残っている。町を歩いても、「定食」「寿司」「生魚片(さしみ)」「炸猪排(トンカツ)」「炭火焼肉」を出す日式食堂が所々にある。

こうして到着翌日の午前中、学生たちが中国語の授業を受けている間に独り歩きして町の雰囲気をつかんだ後、午後は日台学生の工場見学に同行して、近くの中部科学工業園区にある日系企業JSR Micro Taiwanを訪れた。日本にある親会社JSRも、学生にはなじみがない会社だが、この企業の事業は日本の非常に競争力のある分野だ。JSRの前身は1957年に設立された国策会社日本合成ゴム株式会社で、自動車用タイヤのゴムを生産していた。

1978年に半導体の回路形成に使われる感光材フォトレジスト、1988年に薄型ディスプレイ用材料に参入した。現在では、バイオメディカル分野にも進出している。

JSR Micro Taiwanは従業員181名、うち20名が日本人である。台湾工場の製品は、液晶ディスプレイのカラーフィルターを形成するための感光性を有する着色レジスト、ガラス基板の間隔を確保するためのスペーサー、液晶分子の向きを揃える配向膜、保護膜などである。台湾法人は2005年に設立され、当初は製造と営業部門だけだったが、昨年、研究開発部門を設置した。

シャープに代表されるように日本の液晶テレビメーカーは、国際的にみると韓国のサムスンやLGにシェアを奪われてしまったが、液晶ディスプレイの製造に使われる原材料分野は、日本の強みであり続けている。

台湾にもInnolux(群創光電)やAUO(友達光電)といった世界的な液晶パネルメーカーがあり、JSR Micro Taiwanは上記の製品を納入するとともに、顧客のニーズに応じたカスタマイズを現地研究開発部門で行っている。

感光しないオレンジ色の照明が独特のレジスト製造工場や製品倉庫を案内してもらった後、会社の幹部たちが総出で、参加した日台学生の質疑に対して応答する場面があった。いくつも思い浮かんだ質問を投げかけたい気持ちを抑えて、学生たちの質問に耳を傾けた。台湾の学生からは、「貴社に就職するためにはどんな勉強をしておけばよいのか。」など、就職に関する質問がたくさん出た。一方で、日本人学生の質問は事業内容に関することだった。日系企業に就職したい台湾学生の熱意を感じたが、直截的過ぎてつまらなかった。

翌日は、同じ雲林県にある別の大学を表敬訪問した。広大で緑の多い大学であったが、もとはサトウキビ畑だったそうだ。台風の接近で午後から風雨が強くなった。この日は旧暦7月15日で、中元節と呼ばれるお盆行事があった。店の前では供養のためにお供え物をして、紙銭を盛んに燃やしていた。雨にもかかわらず晩に出かけた学生の話によると、町の中心部には舞台がしつらえられて、歌手が歌い、賑わっていたらしい。花火も打ち上げられているのが、宿舎から見えた。

翌朝、大雨の中、ハーフパンツにサンダルを履き、コンビニで買った使い捨てレインコートを羽織って、宿舎からバス待合所まで一人とぼとぼ歩く。くるぶしまで水がたまっており、スーツケースも浸水したが、ようやっと高速バスで台北に出る(つづく)。

紙銭を燃やす
紙銭を燃やす

高速バスで台北へ
高速バスで台北へ

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