アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第11回

平成25年8月15日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

韓国で食べるビビンバは、相当辛い。タッカルビという鶏肉料理も、ちょっと食べるとすぐに水を飲みたくなるほど、辛かった。どうも辛いのは苦手である。そうした僕にとって、ありがたかったのはキンパのチェーン店が町のあちこちにあることだった。キンパは日本の巻き寿司に由来しているようだが、酢飯ではなく、単なる海苔巻きである。これには唐辛子が入っていない。キンパのチェーン店には、オデン、トンカス(トンカツ)、ウドン、ラーメン、カレーライスといった日本語の発音で通じるメニューがたくさんある。ただし、うどんも味噌汁も出しの味がしない。たくわんも日本のような風味がない。日本食だと思って食べると、似て非なるものかもしれない。それにしても、日本語そのままのメニューが意外と多いことに驚く。キンパ店はあちこちにあり、安いので、辛いのが苦手な貧乏旅行者にはもってこいである。キンパにはいくつかの変種があって、これを食べ比べるのもおもしろい。

繁華な通りには屋台が営業していて、これまたいろんなB級グルメを提供している。食べてみたいものはいろいろあったが、常にお腹が減っているわけではないので、手が出せなかった。たこ焼きはソウルにもシンガポールにもある。ソウルのデパ地下には、お好み焼きもあった。

キンパと雑炊
キンパと雑炊

夕暮れの屋台には若いお姉さんも
夕暮れの屋台には若いお姉さん

中央図書館からの帰り、せっかく韓国に来たのだからと思って、焼肉屋に入った。ところが、焼肉はひとりだけで食べられないそうだ。冷麺なら単品で注文できるというので、冷麺を食べた。ステンレスのボールに入って出てきた。長い麺をはさみで切って食べた。細くて腰のある麺である。かつて岩手県に出かけたら、やたらと平壌冷麺という看板を出した店があった。平壌とつくとどんな冷麺やろと気になったが食べたことがない。

8月15日は朝から国立ソウル大学に行った。日本の植民地時代に創設された京城帝国大学はソウルの市街地にあったが、現在のソウル大学は郊外に広大なキャンパスを持っている。この日は光復節で休日であるが、図書館は開館している。日本の大学の図書館は日曜、休日は休館しているが、ソウルの大学でもシンガポール国立大学でも休館日は少ない。勉強したい学生にはとことん勉強できる環境が提供されている。実際、祝日の朝早くから行ったのに、図書館では大勢の学生が勉強していた。しかし、折角、行ったのに、それほどめぼしい資料がなかったので、特別な日のソウル市内を見てやろうと、学食で昼定食を食べてから、ソウルの中心街に出た。

旧王宮の景福宮とその敷地内にある国立民俗博物館を見学した。景福宮では、李氏朝鮮の高宗の王妃閔妃が1895年に殺害された場所を探したが、工事中でわからなかった。日本の終戦記念日は、韓国にとっては光が戻った祝日である。ソウルのメインストリート世宗大路の両側には太極旗がたくさんはためいていた。極めつけは日本統治時代に建てられたソウル市庁舎で、1枚の巨大な太極旗と無数の小さな太極旗で覆い尽くされていた。

台湾と違って、韓国は日本によって統治されていた時代の建物を撤去してきた。景福宮の正面にあった旧朝鮮総督府庁舎は1996年に解体された。歴史的遺産として残っている間に見たかった。

景福宮
景福宮

光復節の世宗大路
光復節の世宗大路

17日朝、ワゴン車で営業している店でサンドイッチを買って食べたら、なかなかうまかった。朝食に満足して、工作機械工業協会の図書室を訪ねる。小さな図書室であるが、専門図書がそろっているので、1冊ずつ丹念にチェックして、必要な部分をコピーさせてもらった。Denny’sでランチを食べたが、洋食にキムチが付いてきた。午後からも作業継続。ある韓国を代表する工作機械メーカーの創業者の伝記があった。この本には初めてお目にかかった。これはという資料に出会うとぞくぞくする。著者が寄贈したようで、同じ本が何冊もあるので、1冊もらえないかといったら、下さった。

この本はすべてハングル表記で、漢字がない。持ち帰った資料は出版年が古い順に、すなわち漢字が多く含まれているものから読んでいった。この本が最後に残った。機械工業とか、機械技術に関して書かれた部分は比較的速く読めるのだが、日常生活についての記述は一々、辞書を引かなければ読めなかった。毎日、2~3時間、ハングルとにらめっこして、読破するのに1年以上かかった。それも創業者の趣味など、研究テーマに関係のない部分を読み飛ばしても、である。でも、そこまでして読んで得られた情報は貴重であった(つづく)。

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