アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第9回

平成25年6月10日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

翌12月29日朝、バスで台中から平鎮に向かい、日系企業B社で日本人経営者Yさんから話を伺った。中国本土に進出するには、日本から直接出て行くよりも、台湾の子会社を通じてする方がスムースにことが運ぶとのことだった。夜、香港式飲茶(やむちゃ)をご馳走になってから(なんやおごられてばっかりやな)、在来線の鉄路で台北に戻る。

30日は業界団体と台湾大学図書館の分館(旧台北高等商業学校)で資料収集。そして2009年大晦日。旧正月を盛大に祝う台湾では日本ほど大騒ぎしないが、カウントダウンライブが催されたり、台北101という台湾随一の高層ビルでは、元旦の午前0時に花火が上がる。でも、昼間は平常どおりだから、対外貿易発展協会で資料収集。この協会が入っている貿易センターでは自動車ショーが開催されていた。台湾の自動車メーカーは、日本など外国企業との技術提携車を生産しているが、韓国にはずいぶん水をあけられている。日本メーカーに比べても、韓国の現代自動車の展示ブースが目立っていた。

ホテルの台湾製液晶テレビでNHK国際放送の紅白歌合戦を見て、特にアンジェラ・アキさんといきものがかりの歌にうるうるした後、除夜の鐘を聞く。台湾と日本では1時間の時差があり、NHKのアナウンサーが「あけましておめでとうございます。」というのを聞いてから外出する。せっかくだから、台北101の花火を見に行ったのである。20年ぶりの台北市内には地下鉄が縦横に走っており、ずいぶん移動しやすくなっていた。地下鉄で台北101に行こうとしたが、駅は客であふれていたので、歩いて行った。台北101が見えたところで、ちょうど0時。ビルの四周から花火が上がった。おもしろかったが、打ち上げ花火の方がきれいだ。得心して、初春の薄ら寒い台北の町を再び歩いてホテルへ戻る。

台北101
台北101

台北のコインランドリー(カタカナ表記も)
台北のコインランドリー
(カタカナ表記も)

2010年元旦。正月だから高級ホテルの日本料理レストランで雑煮を食べようかとも思ったが、そんなものを食べられるかどうかもわからないので、安ホテルのいつもと同じ台湾家庭料理で朝食を済ます。

台湾では元旦だけが祝日で、図書館も閉まっているので、出張中、唯一の休日にした。僕のホテルにはランドリーサービスもないので、近くのコインランドリーに元日の朝から洗濯に行く。洗濯物をホテルに持ち帰った後、再び出かけて、孫文が泊まったという日本式旅館を見学する。それから、1960年代半ばの台北の町並みを再現している台湾故事館を訪れた。そこの駄菓子屋で紙と糸と竹の棒でできた蛇のおもちゃを買った。糸で吊るされた蛇の頭は紙粘土でできていて、胴は紙でできた蛇腹である。竹の棒を持って揺らすと、にょろにょろした動きをする。こうした付加価値の少ないおもちゃを見て、その手作りを生業としていた人々の暮らしや、こんなおもちゃでよろこんでいた子供たちに思いを馳せる。貧しいことが、もののないことが人々に希望と夢を与えていた。逆に言うと、今は豊かになって、ものがあふれて、希望も夢も持てなくなっている。

台湾は近いし、親日的な人が多いので、学生の初めての海外一人旅にはもってこいだ。日本統治時代に残された建物がたくさんいまだに使われているので、ノスタルジーを感じる。台湾大学(旧台北帝国大学)や成功大学(旧台南工業専門学校)には、天井の高い古い校舎が残っていて、いまだに使われている。若い人は日本のかわいいキャラクターグッズが大好きである。『名探偵コナン』や『のだめカンタービレ』など日本のコミックも中国語に翻訳されて、書店に並んでいる。テレビでは『こちら亀有公園前派出所』を放映していた。

総統府(旧台湾総督府)
総統府(旧台湾総督府)

書店に並ぶ日本のコミック
書店に並ぶ日本のコミック

台湾の食堂のメニューは漢字で書いてあるので、大方予想できる。また、作り置きの料理を皿によそってもらうスタイルの食堂では目で確認して、指差し注文ができる。安い食堂はこの方式なのでありがたい。

台湾にも日本のコンビニが進出している。特におでんがあるのが目に付く。日本にはないねたもあるのだが、おでんにまちがいない。ちなみにおでんは関西風に関東煮(大阪では「かんとだき」と発音する)と表記されている。もっとも最近では大阪でも関東煮と言わずにおでんと言うようだ。日本のコンビニよりイートイン可能な店が多かった。

5日の午前中まで図書館で資料収集して、まだロビーにクリスマスツリーが残っている桃園空港を後にして、夜に帰国した。次回から韓国編です(つづく)。

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