アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第6回

平成25年3月19日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

8月15日、ジャカルタから空路1時間半ほどでシンガポール・チャンギ国際空港に到着した。空港からスマートな市内電車でホテルに向かう。車内で飲食すると、500 シンガポール・ドル(約34,000 円)の罰金が科せられることもあり、ごみは落ちていない。中心街より手前のアルジュニード駅で降りて、1泊3,000 円台のホテルへ行く。

ちょっと節約しすぎた。どんな環境のところか、グーグルマップのストリート・ヴューで見て、ふつうの住宅街だと判断していたのだが、実際に行ってみるとホテル周辺は公娼街だった。日本の歓楽街のように派手なネオンサインがあるわけではなく、派手なお姉さんが道行く人に声をかけるわけでもないが、そうなのである。

一度、店の入り口にいたおっちゃんに「ちょっと、見るだけ。」と日本語で声をかけられた。日本人であることがバレバレである。店には名前が付いているのだが、日本語の店名が多い。そんなにたくさん日本人が来るのか。ただ「熱海の夜」とか、古風な店名が多かった。

当局の管理下にある公娼の他に、非公認の売春婦もいるようだ。夜、うろつくと、声をかけてきた男がいて、薄暗がりに何人かの女の子がいた。こうした女の子の身の上話も聞いてみたいところであったが、研究テーマには含まれていないので、やめておいた。

こんな環境のところに建つホテルはラブホではなかったが、低ランクで、日本人はあまり使わないようである。お湯は出たが、もちろんシャワーのみ。ジャカルタのホテルではNHK の国際放送が映り、毎朝、『ゲゲゲの女房』を見ていたが、このホテルでは見られなかった。

シンガポールは淡路島ほどの大きさの都市国家である。リー・クァンユーという政治的寿命の長い政治家によって、指導されてきた。シンガポールの生活水準は高い。貧民窟は姿を消し、庶民もこぎれいな高層住宅に住んでいる。猥雑な繁華街もない、きれいなガーデン・シティが作られた。もちろん大阪よりきれいだ。

シンガポールも戦時中、日本に占領されていた。その時、シンガポールの住民が受けた心の傷は、現在に至るまで受け継がれている。以前、シンガポール博物館で見たSingaporeStory という3D 映画では、戦時中の残忍な日本人が描かれていた。一方で旧宗主国イギリスに対する憎悪は感じられない。シンガポールの目抜き通りオーチャード・ロードの外れには、日本の監獄があったという記念碑が建てられており、住民たちがひどい拷問を受けたと、日本語で書かれている。別のところには巨大な受難の記念塔が建っている。

シンガポールに滞在したのは、1998 年と2000 年に次いで、3 回目である。いずれもシンガポールに進出している日系企業の訪問調査と文献資料の収集が目的である。シンガポールは島内を一周している電車と乗合バスでどこへでも簡単に行ける。したがって、今回も訪問先企業が気を利かして(ややありがためいわくなのであったが)、ベンツのタクシーを手配してくれた時以外、タクシーは使わなかった。

シンガポール市民はマレー系、中国系、インド・タミール系の人種から構成されており、駅などの表示は英語を含む4ヶ国語で併記されている。

今回もシンガポール国立大学の図書館に行った。学生のノート・パソコン所持率は高く、情報ネットワーク環境は整っている。カフェテリアで昼食を食べた。韓国料理コーナーがあったが、日本料理はなかった。それだけ韓国から学生が留学しているということか、と思いながら、韓国料理ということになっていた塩鯖定食を食べた。

インドネシアに比べると、シンガポールの方が韓国企業の進出が目に付く。シンガポールに自動車製造工場はなく、自動車は輸入に依存しているが、現代自動車のタクシーが多かった。携帯電話の販売店もサムスンが優勢である。

しかし、日本も負けてはいない。ある電車の駅には大阪があった。かに道楽やてっちりのずぼらやを模した、蟹やふぐのはりぼてがしつらえられていた。お好み焼きのぼてじゅうも出店していたし、メイド・カフェに、メイドしゃぶしゃぶというのもあった。橋下大阪市長が見たら感涙にむせびそうである。学校帰りの中学生は、小腹を満たすために、1個ずつ包装された握りずしを選んでいた。Otaku House という日本のキャラクター・グッズを売る店もあった。NHK のどーも君まで進出していた。

シンガポール国立大学の中央図書館
シンガポール国立大学の中央図書館

これって大阪とちゃうの
これって大阪とちゃうの

僕の研究対象としている工作機械を製造している企業は、シンガポールに3 社あり、いずれも日本企業の現地工場である。10 年前に訪問した時、駐在していた日本人社員は、みなさん転勤されていた。日本企業はいったん進出すると、目先の損得に振り回されずに腰を落ち着けて仕事をするため、欧米の企業に比べると存続期間が長く、それだけ現地の産業発展に貢献している。一部の要職は日本人が務めているが、社長は日本人でない場合もある。最近では研究開発部門の一部を日本からシンガポールに移転した企業もある。シンガポールは中国とインドの中間に位置しているため、両巨大市場を睨んで、営業活動を展開している。日本人の海外駐在員にとって、シンガポールはたいへん居心地が良いようだが、タイから転勤してきた人はタイがよかったという。シンガポールは整いすぎて、おもしろみがないようだ。

シンガポールでお勧めのデザートはアイスカッチャンである。河村塾長を冷凍したような名前だが、鹿児島名物の白熊と同じように、いろんな味を楽しめる豪勢なかき氷である。

シンガポールにはあんまりおもろいねたがないんで、時間を8 ヶ月戻して、次回から台湾編をお届けしよう。(つづく)

コラム一覧へ戻る

▲ページ上部へ戻る