アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第4回

平成25年1月10日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

8 月13 日、ジャカルタ郊外のスルポンにある政府の工学研究所に行く。Y さんから、日本留学仲間のM さんを紹介されたからである。最寄駅から研究所への交通事情がわからなかったが、単独行なのでジャカルタからタクシーを飛ばすことはやめた。

ジャカルタの郊外電車の状況は、日本のバラエティ番組でも時々、おもしろおかしく紹介されている。車両は日本で使われていた中古品である。ラッシュ時はすし詰めで、屋根の上にも人が乗っている。ドアは常時、開けっ放しで走る。敗戦直後の日本のようなありさまである。

駅舎ではみんな床にへたり込んで電車を待っている。駅のホームではおばちゃんが野菜を売っている。跨線橋があるのに、みんな線路に降りて、向かいのホームの電車に乗り換える。こんないいかげんさがインドネシアだ。

社内がすいている場合は、物売り、物乞いが自由に営業している。ほうきで電車の床を掃除する少年、車内でライブをやる若者、カラオケで歌いながら歩くめしいた老夫婦、いずれも小銭稼ぎである。こうした鉄道事情は、13 年前と全く変わらない。

跨線橋があるのに
跨線橋があるのに

あけっぱなしは気持ちがいいけど
あけっぱなしは気持ちがいいけど

そんな電車でスルポンに行った。ところが、駅前にはバス停もなければ、タクシー乗り場もない。研究所までは歩ける距離ではない。思案していたら、バイクタクシーというのがあることがわかった。バイクの後部座席に客を乗っけて、運んでくれるのである。これは初体験だった。バイクの後に乗せてもらったのは、生まれて3 度目だったので、振り落とされまいと変に力が入ったが、風が心地よく爽快だった。

つくば学研都市のように広大な敷地にたくさん研究棟があったが、運転手は目的の研究所を捜し当ててくれた。少し遅れてM さんが自家用バイクで出勤してきた。ところが前日になって、彼は約束時間の変更をメールしたそうである。パソコンを携行しなかった僕は、時折、ネットカフェに行って、日本語変換のできないパソコンでメールチェックしていたのだが、Mさんからのメールを読んでいなかった。

時間つぶしに、午前中は研究所内をうろつき、若い研究者と英語とインドネシア語のちゃんぽんで雑談していた。昼からMさんと彼が呼び寄せた技術者から話を伺った。

バイクタクシーでGO
バイクタクシーでGO

露店の果物屋
露店の果物屋

帰りは職員さんにバイクで駅まで送ってもらった。少し時間があったので、駅界隈をうろついた。道路沿いで店開きしている露天の八百屋、果物屋、魚屋、ちゃんと店構えした電器屋などを見てまわる。DURAYAKIと書かれた屋台があった。インドネシアの人はお菓子が好きなようだ。スーパーで売っているメーカー品は画一的でつまらないが、屋台ではいろんなお菓子を手作りしながら売っている。日本のどらやきは小さなパンケーキにあんこをはさんでいるが、DURAYAKIはパンケーキ部分だけである。買ったら、廃コピー紙で作った袋に入れてくれた。

近くに学校もあった。男子中学生は白いカッターシャツに黒ズボンで日本と同じである。女子は白いシャツに黒いロングスカートで、頭髪が見えないように被り物をしている。中東とは違って、インドネシアのムスリム女性は顔全体を出している。インドネシアの一般女性はミニスカートやショートパンツをはかないので、男性はいらぬ刺激を受けずにすむ。

駅近くのレールの上には、学校帰りのごんたそうな生徒たちが座り込んで、しゃべりこんでいた。電車の運転士は、ずいぶんと前方に気を払わなくてはならない。(つづく)

インドネシアの女学生
インドネシアの女学生

なんで線路に座りたいの
なんで線路に座りたいの

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