アトリエトーク

旅と学びのコラム 「アジア、ものづくり、町工場」 第1回

平成24年10月10日

新しき糧YOSHI <ペンネーム>

2010年8月、インドネシア・シンガポール17日間の旅に出た。こう書くといささか長いパック旅行やなと思われるかもしれない。目的は、卒業論文以来の今までの研究を一冊の本にまとめるのに、最近の機械工業の状況について、現地で生の情報を得るためだった。もちろん、自分で計画した一人旅である。

インドネシアは、修士論文を書くための現地での資料収集と聞き取り調査で、1997年に訪問して以来、13年ぶり、4回目である。はじめの2回は町工場の技術者として、自分が設計した大型木材防虫処理装置を日本から持ち込んで、現地で組立てて、操作方法を教える仕事での出張だった。1回目は1985年12月から年明けまでの40日間、2回目は1989年で1週間、いずれも現場はスマトラ島中部(西スマトラ州、リアウ州)だった。

もともと一人旅が好きである。大学2年の1978年、ヨーロッパを1カ月周遊して、味を占めた。『何でも見てやろう』精神で、ユースホステルを利用した貧乏旅行だった。学生時代にいろんなタイプの国を見なければならないと思い、西側先進国に加え、発展途上の南(台湾、マレーシア、タイ、香港)、社会主義の東(旧ソ連)にも足を運んだ。

いったん貧乏旅行をしだすと、足を洗えない。少なくとも僕はそうだ。いかに安い飛行機で行き、いかに安い宿に泊まり、いかに安いものを食べ、いかに安い交通機関で移動するか、にこだわる。もっとも研究で行く場合は、その目的達成に支障をきたさない程度に、である。

最近では、格安航空券も、安ホテルもインターネットの日本語サイトで簡単に予約できる。行き先がインドネシアとシンガポールということもあり、やや贅沢だが機内サービスの良いシンガポール航空にした。ホテルはジャカルタもシンガポールも1泊3,000円台に抑えた。

今回、一番、気前良く、お金を使ったのは通訳である。あちこち行っとるから、英語が達者なんやろ、と思われるかもしれないが、英会話力は惨憺たるもので、聞き取れない、話せない、昔ながらの受験英語人間である。下手な英語と片言のインドネシア語で冷や汗をかくのに耐えきれなくなって、現地企業の調査に初めて通訳を使うことにした。

現地在留日本人に頼むと高そうだし、インドネシア人としゃべる方がおもしろそうなので、インターネットで探した。得意分野や実績を目安に、メールでコンタクトを取って、お願いした。ところが、直前になって、大手日本企業から長期の仕事が入ったとの理由で、キャンセルをくらった。代わりの通訳を紹介されたが、最初に依頼した人より高い手当を要求された。なんだか、仕組まれているような気がしたが、時給を下げてもらう代わりに、依頼時間に遅れなければ、最後にボーナスを支払うと取り決めた(インドネシアでは時間通りになかなかことが進まないことへの対策)。時給2,500円である。

現地企業と面談の約束をとるのも一苦労だ。紹介者もなく、直接、下手なインドネシア語でメールしても、なかなか返事がもらえない。電話で交渉する能力はないので、ややくどく督促する。この企業から話を聞かねばと狙いを定めると、遠慮していては埒が明かない。返事がもらえなくても、押しかけるくらいでいく。

僕は断じて、厚かましい方ではない。どちらかというと慎ましく、口数が少ない。ところが海外では、ずいぶんと遠慮がなくなる。いけいけどんどんである。限られたチャンスを生かそうとするとそうせざるをえない。

日本国内で手に入る資料を現地で探すのは、むだなので、事前に得られる情報は入手して、下調べしておく。現地での行動計画を立て、なるだけ出発までに訪問先の約束を取っておく。海外では、予定通りに進まないことを織り込む。

そうして、8月6日11時に関西国際空港を発ち、シンガポールで乗り換え、現地時間の18時(日本時間の20時)、雷雨のジャカルタ・スカルノ=ハッタ国際空港に到着した。

シンガポールの国際空港で乗り換え
シンガポールの国際空港で乗り換え

ジャカルタのバジャイ
ジャカルタのバジャイ

蒸し暑い空港は、入国審査を待つ人でいっぱいだった。3万円を現地通貨に両替すると、300万ルピアになった。一気に大金持ちとなり、財布はパンパン。乗合バスに乗って、都心のガンビール駅へ。ここで、4日後にバンドゥンに行く汽車の切符を買っておく。エアコン付きの1等車にした。あれ、贅沢やん、と思われるかもしれないが、半日乗って500円である。

駅からホテルまでは遠くないが、荷物があるので、バジャイに乗る。かつて日本にあったダイハツのミゼットのような3輪タクシーだ。ハンドルはバイクと同じバー・ハンドルで、計器らしい計器はない。料金メーターもなく、運転手と運賃を交渉する。彼らは相手を見て、吹っかけてくるのだが、もはや貧乏学生ではないので、値切らなかった。前部座席の真ん中に運転手が座り、客は狭い後部座席に乗る。熱帯の生暖かい風が、吹き抜けていく。

1泊3,000円のホテルは日本のビジネスホテル風で、こぎれいであった。13年前は近くの安宿街にあるホテルに泊まったが、今回は1ランクアップである。バスタブはないが、お湯の出るシャワーがある。

こうして、初日の大阪からジャカルタへの長い移動が無事に終わった。(つづく)

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