平成24年4月10日
私などは井伏鱒二というと、すぐに思い浮かぶのは、「山椒魚」や「屋根の上のサワン」やあの「黒い雨」ではなく、やはり「ドリトル先生」シリーズの翻訳者であるという事だ。
確かに、現在読んでみると、やや古めかしい印象はまぬがれないが、ドリトル先生=「ロフティング作・井伏鱒二」という程にファンにとっては忘れられない名前として記憶されている。
あの翻訳を娘の本棚から今ひもといて読んでいるのだが、比較するのは少しおカド違いであろうが、今回のセンター試験の小説の出典である「たま虫を見る」と比べてみると、どうしても印象が違うのである。
「たま虫を見る」を講談社文芸文庫(『厄除け特集』)の年譜で確認すると、1926年(大正15年・昭和元年)28才の時の作であることがわかる。
センターでも過去に出された「朽助のいる谷間」名作「山椒魚」「屋根の上のサワン」が文芸雑誌に掲載された初期の作品群のさらに3年前の作品であることがわかる。この3年のギャップは大きく、「山椒魚」にみられる前半と後半の見事な対照の妙も、「屋根の上のサワン」のような終幕にむけての切迫したリズムもここには見られません。やはり文章の流れは荒けずりである事はいなめないと思います。井伏鱒二を出題するにしても、なぜこんな初期の文章を出さなければいけなかったのか、私には納得できかねます。
たしかに一つ、一つの場面が独立していて設問のある前後だけを読めば正答にたどりつけるようにはなっていますが、思想に文体が追いついていない、このような文章をセンター試験に登場させるのは、少々無理があったかと思われます。
古文・漢文を易しくした分、前回検証させていただいた評論同様、やや難解な所を狙って探して来たのでしょうが、小説本来のもっとリズムのある、もっと物語性のある作品は、近現代ともにいくらでも存在するのですから、来年度はもう少し文字通り面白い小説を期待します。
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