平成20年8月15日
皆さんはじめまして。社会科を担当している事務局の中村です。今回は、歴史上の人物を一人ピックアップして歴史の面白みを少しでもご理解いただければと思います。
今回ご紹介する人物は武田信玄。戦国時代の名武将として有名であり、彼の生涯については多くの小説で取り上げられたり、またいくつものドラマ化がされており、彼の人生を深く理解されている方もかなりいらっしゃるかと思います。ところでなぜ彼は天下統一を果たすことができなかったのでしょうか。その理由について私なりに2つの視点から考えてみたいと思います。
武田信玄が一生かけてとった領土は百二十万石。同時代の人物で織田信長を別にすると匹敵するのは毛利元就ぐらいです。しかし、この事績はあくまで地元の甲斐信濃を治めるための最良の方法を模索した結果であり、天下統一を最初から考えていた織田信長とは根本的に違っていました。また、武田信玄が残した有名な言葉に「人は城、人は石垣、人は堀」があります。人材が一番大切であり、それさえしっかりしていれば城など必要ないという意味です。しかしこの考え方は城を軍事上の防衛拠点としてしか見ていないことを意味すると私は考えます。一方で、織田信長は城に対して軍事拠点としてよりも、政治の中心として捉えていました。ですから領土拡張と時代の形成に合わせてめまぐるしく移動を続けております。とすると、終生本拠地を変えることがなかった点に信玄の限界が見えてきてなりません。時代に合わせてめまぐるしく動いて、天下を取った織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら次世代の英傑との違いが見られるところです。
もう一つ、武田信玄が天下統一を果たせなかった主な原因として、上杉謙信との約十二年に及ぶ川中島での抗争があげられると私は思います。外交によって謙信との戦いを避ければ天下を握れたという人もいますが、どうだったでしょうか。もともと強い相手と戦うことに生きがいを感じていた謙信にとって、外交手段によって戦いを避けようとすればするほど、信玄に対する怒りは増大し、火に油を注ぐ結果になったのではないかと思います。謙信にその実力を見込まれた信玄は、かえって自身の実力が仇となるとは何とも皮肉な話です。結局、遅れに遅れた天下統一を目指していよいよ京都に上洛するまさのその途中で信玄は病を発し、信州駒場で死去します。享年五十三歳。
今回、武田信玄が天下統一を果たせなかったことについて、彼の考え方と上杉謙信との係わり合いから考えてみました。みなさんはどうお考えでしょうか。ご意見やご感想がありましたらメール等でお寄せいただければ、幸いです。皆様のお考えをお待ち致しております。
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